2014年8月31日日曜日

仕事の課外授業-572「心の置土産」 の感想

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  人が真にその心の置土産となし得るものには、

  その人がその場所、その地位に置かれていた間、

  その全生活を貫いて歩んだ心の歩みこそ、

  否、それのみが、

  真に正真正銘の置土産となるのではないかと思うのです。

          『修身教授録』森信三著(致知出版社)

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仕事の課外授業-572「心の置土産」 より



みなさん、こんばんわ。渡辺です。
昨日は久々に太陽が見えてましたね。
っていうか、風が涼しくてもう秋か!っていう日和で
とても過ごしやすかったです。

来週もそんなには、暑くなら無そうだね。

では、「心の置土産」行きましょう。

今回のキーは、

 「一日一生」という生き方

と考えました。

私ごとですが、2年半程前に突如異動になり
7年近く従事した業務を離れ今の部署にやってきたのだけれども
果たして、後に残った人たちに、「心の置土産」を残せたかどうかは
疑問です。

幸い、同じ会社で働いているので
珠に、エレベーター等で顔を合わせる機会などあると
「戻ってきてよ~」なんて声かけて貰えるので
前向きに捉えれば、まあそんなに悪い評価では無かったと思いますが
なんか残せたのかな~どうだろうな~と
改めて自分に問いかけてみました。

1部の後輩だけだけど、1つ確実に残せたとおもうのは、
自分のやっている仕事の背景や得意先が何をどう考えているのかを
意識しようということ。
その為にも、マーケティングだったり、世の中の動きは意識的に
勉強するようにしようというのは、少なくとも近しい後輩達には
出来てた気がする。

一方で確実に残せなかったのは、
会社の事をきちんと知るということで、
自分の部門以外がどんな事をやっているのか?
会社として今どういう状況にあるのか?
などは、当時自分自身が余りにも興味なかったので
全く残せなかったとおもう。

更に言えば、残そうという気も無かった(自分が興味なかったので)。

でも、移動後困ったので、今メールや
珠に会う機会があるときに、一生懸命伝えてます。

翻って、残された方からの視点で語れば
最後の挨拶で「いいこと」言われても結構忘れちゃうけど
いつも、云ってたこと、継続してやってたこととかは、
結構心に残ってる気がする。

やっぱ、そういうことなんだよね。

僕が残せたとおもっている事が、
果たして、それに全力で取り組んでいた訳ではなかったけど
僕自身、そういう考え方を持てるようになって
仕事の視野が広がったというか、もう少し高い位置で物事を
捉えられるようになったというのを凄く良かったと実感してたので
一生懸命伝えたいとおもっていたのかも。

平素からの心がけ、習慣というのが

が結果として、人の心に浸透する一番の近道なのかもしれないね。

というところで、以上です。

で、先週までで
克己の工夫というテーマで
森信三先生の『修身教授録』を参考に
以下のタイトルでやってきました。

ホントこのメルマガでも無ければ、
森信三先生の本に触れる機会なんて無かったかもね。

16回に亘り、16個のテーマについて考えてきたけれども
いやはや、深かったですね。
未だ入り口にも達していないんじゃないかって言う感じね。
でも、現在位置確認出来ただけでも良かったとおもってます。

「考えが変われば意識が変わる」の部分にはなったかな?

「現実の必然」
「教えるということ」
「決心覚悟の持続」
「根本眼目」
「独りを慎む」
「一時一事」
「忍耐」
「下座行」
「最善観」
「世の中は正直」
「平常心是道」
「全力を傾け切る」
「真の面目」
「批評的態度」
「一日の意味」
「心の置土産」

タイトルだけでも、身が引き締まるわ~

来週からは、リーダーノートです。
これはこれで、楽しみだね。

それでは、みなさん良い日曜日をお過ごしください。

2014年8月22日金曜日

仕事の課外授業-571「一日の意味」 の感想

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  一生を真に充実して生きる道は、
 
  結局今日という一日を、

  真に充実して生きる以外ないでしょう。

  実際一日が一生の縮図です。

      『修身教授録』森信三著(致知出版社)

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仕事の課外授業-571「一日の意味」 より


みなさん、こんばんわ。
暑い日が続きますね。
家の中の方が、外より暑い気がする。

僕は、先週から出社してますが、
お盆明け今週から出社の人が多いせいか
会社は若干のだらけムード(エンジンかかりきってない感じ?)が
流れており、比較的スイスイ帰ってきてました。

とはいえ、一般的にみたら遅い業界。
なんとかパラダイムシフトしたいものです。

それでは、本題 「一日の意味」行きましょう

今回のキーは、
「今日も人生そのもの」
じゃないかと考えます。

人生は「今」の積み重ねでしかないというところですね。

僕は、数年前から早起きを心がけているんだけど、
やっぱ早起きは、(息子が起きて来ない限り)静かだし、集中できるし
寝坊した日は、イマイチ回転が悪いというか。
1日の中での、スタートダッシュになっているとおもう。

そう考えると朝の時間って人生における10代位で
やっぱり義務教育って人生のスタートダッシュとしては大事なのかも
って思った。

もうひとつ
「死ぬ瞬間に後悔があるということ」
についての僕の解釈としては、

一日の予定を完了しないで

っていうところが、肝かなと。

1日で捉えるとすると、
「あぁ今日も、よく色んな事やった(出来た)、明日は何をしようかな」
みたいなのが◎なパターンで
「あぁ今日も、あれも出来なかった、これも出来なかった、明日こそやんなきゃ」
みたいになると×なパターンかなと。

人生に置き換えてみると、
「他にもこんな事もやりたかったけど、まあ割りと充実してたし楽しかったからいいか
 来世で生まれ変わったら、こんな事挑戦したいな~」
みたいな前向きな後悔?であれば、「今日を精一杯生きる」って事じゃないかと。

最後に、人生というと思いだす一つの詩を紹介すると、

Dobernmanという大阪のスカバンドがいるんだけど、その曲で
ピンクの駱駝とジョーカーという曲があるんだけどその中で




人生は百年をかけたガス欠覚悟の宇宙旅行

というのが、あって結構好きなフレーズなんだけど
人生を旅に見立てた場合、
自分の目指す場所があって、そこへ向かってロケットを飛ばしてるんだけど
到着出来るか、ガス欠するか、ガスは残ってても路頭に迷うか
みたいなイメージ。

要するに、
目的地に向かって一直線に向かって行ければ言うことはないけど
多分、寄り道したり、途中で止まったり、予期せぬトラブルが発生したり
でも、確固たる目標(目的地)を持って進んでいく。
一生懸命やっても、もしかしたら、志半ばで終わってしまうかもしれない。
でも、頑張ってみる。目的地目指して、一歩でも前へ進んでみる。
そんなのが、人生なのかな

ちょっと尻切れだけど、今日のところは、ここら辺で。

では。

2014年8月17日日曜日

仕事の課外授業-570「批評的態度」の感想

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  批評知には、

  一種独特の鋭さがあって、

  なかなか馬鹿にならぬものですが、

  いつまでもその段階にとどまっていい気になっていますと、

  大馬鹿に陥る危険が多いのです。  

          『修身教授録』森信三著(致知出版社)
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世間的にはお盆休みも今日までというところで、
Uターンラッシュとか凄いみたいですね。

さて我が家では、
昨日は、井の頭公園、本日は、八王子美術館と
珍しく家族三人揃って充実した休みを過ごす事ができました。
普段は、僕か妻のどちらか+息子という構図が多かったのですが。


さて、今回の批判的態度ですが、
実際に会社には凄くこういう人が多いですね。

僕自身も下手すると(気を抜くと)こっち側に行ってしまう、
可能性も往々にあります。

やはり、役職が上がれば上がるほど、

鋭い指摘をすることで、
自分の立場を護っている人

っていうのは、やはりとても多いです。

流石に僕自身、護るものは何もないですし、
それ程、鋭い指摘も無いわけなので

1.相手の欠点だけを鋭く見る

というのは、余り無いのですが、
やはり、多いパターンとしては

2.長所と短所を公平に並べてみる

というのは、日々の生活で多くやってしまっている気もします。

「あの人は、○○はいいんだけど、△△はなぁ」って奴ですね。
これでは、自分ならそうしないのになぁと学んでるつもりが、

「学ぶ姿勢ではない」が無いわけですよね。
というわけで、

3.なるべく相手の短所の方は見ないで、その長所や美点、
    すなわち、その優れた方面を主として見る

ことで、

「人の長所に学ぶ」基本的態度

が出来るというわけですね。


少し話しはそれますが、先日読んだ記事
アメリカ・インディアンの知恵の言葉のなかで
このようなものがありました。
少し、長いのですが、前文引用しておきます。

私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のこ
とを念頭に置きながら行なわれる。これからやってくる人々、まだ
生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮らしたり
することのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられ
るように心を配るのが、私たちの仕事なのだ。私たちが母なる大地
の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生ま
れてくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げている
からだ。私たちはそのことを、片時たりと忘れない 
オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)1990年

この、インディアンの知恵と今回のテーマをつなげて考えた時に
自分が、人と対峙するときに何をどう考えるか?とした時に

1.相手の欠点だけを鋭く見る

というのは、余りに近視眼的な対峙方法なのと同時に学びが少ない分
時と場合を違えると逆に自分が同じ指摘を受ける可能性があるのだと思います。

やはり、7世代先を見据えて未だ生まれない世代の人々に
良い世界を作ろうとするのであれば、「人の長所に学ぶ」基本姿勢を持ち
常に学ぶ姿勢を持ち続けることが大事なのではと考えました。

遥か未来に向けて自分が何をするか?何が出来るか?


今日のところは、以上です。

2014年8月13日水曜日

「キミと夏と山形」に思う祖母のこと父のこと息子のこと

キミと夏と山形 「思い出はいつも、あげるつもりが、もらってばかり。」

現在、JRで展開されている山形ディスティネーションキャンペーンのひとつ。

JRの広告といえば、「行くぜ、東北。」の木村文乃さんがキャッチ含め可愛い訳ですが
この駅に掲出されている大判ポスターの女の子も可愛いには可愛いが、
恋人シチュエーションにしては、可愛すぎる(幼い)モデルを採用したなぁ
実際のこのモデルの子って幾つ位なんだろうと、検索していたら
下記ブログに行きついた

トマトラボラトリー キミと夏と山形

そうか、このポスターの構図は
お父さんが娘を撮っているというシチュエーションなのか!

他のポスターとかを見ると、
父、母、娘の3人による山形旅行を父が写真を撮っていることが分かる。

タイトルの手書き万年筆文字は、
お父さんの日記なのか旅行記なのか

色々検索してみると、
今までのポスターと共にキャッチコピーが、幾つか上がっていて





なるほどね、確かに電車通勤してる
お父さん世代をターゲットにした広告な訳だ。

幸いというか、残念ながらというか僕の子供は息子な訳で、
お嫁に行ってしまうという寂寥感は余り感じないのだが、
先日親子三代で長野へ旅行へ行ったことを
重ね合わせて色々考えてしまった。

息子の成長に対し、余り寂寥感を感じないというのは先述の通りだが
一方で、父親の老いに関しては寂寥感を感じざるを得ないものがある。

昨年末、胃に癌が見つかり一時は全摘出か?という状況だったが
セカンドオピニオンで行った病院での判断で、内視鏡手術でも行けるだろう
ということになり、実際手術の時間は掛かったが、無事手術も成功し、
今では、食事も飲酒も通常通りには行えているのは幸いだ。

とは言え、10年前、20年前に比べれば飲酒量も減ってるし
暑さ、寒さの耐性も大分落ちてきたなぁというのが実感である。
(暑さ、寒さに関しては、もしかしたら以前は唯々痩せ我慢をしていただけかもしれないが)
朝晩の散歩をしている成果、体型も以前に比べたら大分痩せ、
スリムになったといえば聞こえはいいが貧弱に見えなくもない。

そんなことを考え出すと、

「帰りたい夏は、いくつあってもいい。」
「思い出はいつも、あげるつもりが、もらってばかり。」
「一緒の初めては、あと何回あるんだろう。」

というのを、息子でなく父に思うと同時に
父が、僕の息子(要は孫)に対し、

「一緒の初めては、あと何回あるんだろう。」

ということを、思っているのかなとか考えた。

昨年の秋に突然祖母を亡くしたのだが、
生前、割と忙しく自分の友人との交流を楽しんでいた為
実際に会う機会は非常に少なかったが、
僕に息子が生まれた時に、
「私には9人孫がいるけど、ひ孫の顔を見せてくれたのは、お前だけだよ」
と泣いて喜んでくれたので、季節の節目にはいつも息子の写真を送っていた。
だが、昨年はなんかバタバタしている内に、敬老の日が過ぎ、
そして祖母が亡くなってしまったため、敬老の日のカードを出し忘れた事が
非常に心残りだった。

そんな轍を二度と踏まぬように、可能な限り父と過ごす時間を大事にしたいと
改めて、意識するいいきっかけになった。

来年も、また3人で

 キミと夏と信州

しようかな。



ノザキブランド 山形県産牛コンビーフ 100g


2014年8月11日月曜日

仕事の課外授業-569「ねばり」 の感想

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  ねばりというものこそ、

  仕事を完成させるための最後の秘訣であり、

  同時にまたある意味では、

  人間としての価値も、最後の土壇場において、

  この粘りが出るか否かによって、

  決まると言ってもよいと思うほどです。

         『修身教授録』森信三著(致知出版社)

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仕事の課外授業-569「ねばり」 より



おはようございます。
先週の水曜から親父と息子と親子3世代で長野へ各駅停車の旅へ行ってきました。
年々生意気になってく息子に、必ず一言云いたい親父と間に分け入る僕と(笑)
楽チンでは無かったけど、これはこれで楽しかったので
また、機会を見つけて行きたいです。
いい親孝行にもなったかな。
そして普段なら、暑い山梨も高原のように涼しくて朝夕長袖着てました。
今日は、台風一過で暑くなりそうですね。

では、「ねばり」行きましょう。
今回のポイントは、

 己心の魔に負けない「心」

と考えました。

本文中でも、運動になぞらえて

身体を鍛えておかないと、気持ちだけでは走り続けられない

とあるように、
自分の弱点を見据えた上での、日々の鍛錬が必要になってきますね。

問題解決のステップにおける
1.現状認識
2.課題特定
3.打ち手立案
4.評価
の、先ずは「1」からという感じでしょうか?

もう一つ、仕事を始めてから仕上げるまでの課題と対処法として
以下の3つがあげられてましたが、
 1.飽きがくる ⇒ 意志
 2.へたる   ⇒ 根気
 3.一息つきたい ⇒ ねばり
もう一つ挙げるとすると、
 0.腰が重い
というのもありそうな気がします。

「やんなきゃなぁ~」と思いつつ、中々手が付かないアレ
飽きが来る以前に、やんなきゃと思いつつ手が付かない感じですね。

ここでひっかかるのは、
不得手な仕事(苦手意識のある仕事)が多い気がします。
得意な作業、遣りなれた作業っていうのは、
先ずは手を付けることは出来るけど、不得手な作業って
作業にかかるのも一苦労よね。

これを書きながら、ふと気づいたのは
息子の宿題。

0.まず、やりたくないから、なんとか逃げ切りたいけど逃げれない
1.始めたと思ったら、2,3問で気が散って他の事に気が取られる
2.また、始めるんだけど、また「やりたくない~」と葛藤が始る
3.あと少しということろで、「出来ない。出来ない~」

見たいな感じで、毎朝葛藤してます。
こうやって、考えると
学校の宿題は、根気、ねばりを試す修行みたいなものなんだけど
難しいのは、「意志」の部分ですね。

後は、根気、ねばりは時間が経過するにつれて、
どんどん消耗していってしまうので、
期限(時間)を決めその中でやっていくっていうのも
作戦のひとつかもしれない。

まとめると、
自分で、やり切るという気持ちになるところ。
そして、やると決めたらやるということ。
結局「意志」によるところが多い気もするけど
この二つで、色んなワークをどんどんクリアにしていきたいですね。

きょうのところは以上です。

2014年8月3日日曜日

仕事の課外授業-568「尊敬の証」 の感想

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  敬うとは、

  自分より優れたものの一切を受け入れてこれを吸収し、

  その一切を奪いとって、

  ついにこれを打ち越えようとする強力な魂の、

  必然な現れといってもよいでしょう。

         『修身教授録』森信三著(致知出版社)

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仕事の課外授業-568「尊敬の証」より



みなさんおはようございます。
只今 4:30 
昨日は、午後から息子と市民プールに行って戻ってきてから
3家族合同食事会の為、日野駅前の麒麟坊へ
呑んだ食べて帰宅。風呂に入って撃沈という流れだったので
早起きしてこれを書いています。

早速ですが、「尊敬の証」行きましょう!

いやはや、今回はとても深い内容ですね。
夜明け前の自分のデスクで頭をうならせてます

というわけで、今回のキーに入る前に少し寄り道して別の書籍から
引用しようかと思います。

燕雀に(えんじゃく)に鴻鵠(こうこく)の志は分からぬ。 
英雄でなければ英雄を知ることもできない道理である。そこで人を識ると
いうことは畢竟(ひっきょう=つまるところ)我が内に探知することであ
って、我れみずからの修養学問のないところに、人を知り人を用うること
の行われるわけはない。 
『いかに生くべきか 東洋倫理概論』(安岡正篤著、致知出版社)より引用

燕雀と鴻鵠の話にかけて読み解いて行こうと思います。

それで、今回のキーはコレですね。

 「真の敬とは、生命の最も強い働きに他ならない」

今回本文中にもあるように、
一般的に「尊敬」するというと

 「自分には、とても真似ができない!」

という感じが強いですね。
更に、少しまがった取り方をすれば、
すごいけど、真似できない(っていうか真似する気もない)
みたいな使い方も横行している気がします。

しかしながら、真の「敬」とは、

相手のすべてを受け入れるということ

相手のすべてを受け入れるとは、

相手のすべてを吸収しようということ

であり、したがって、真の敬とは
こうなりたい、
この様に生きたい、
このように尊敬されたいという

生命の最も強い働きに他ならない

ということですね。

ここまで書いて、やっと 燕雀と鴻鵠 がでてくるのですが

とある人が、

 「すべての人は燕雀であり、鴻鵠なのではないか」

といっていました。

自分は今は燕雀であるが、
英雄たる鴻鵠を尊敬し、その全てを吸収し、そうなろうという
生命の強い動きの中で、いつの間にか自分自身が鴻鵠になり
燕雀から尊敬を集められる存在なれるだろう

ということなのかな?と想像しました。

僕自身も未だ燕雀のせいか
相手の全てを受け入れるような巨大な鴻鵠に出会っていない
(出会っても気づいていない)のですが、
先ずは、色々な人の尊敬できるところを
丸ごと呑みこむところから初めてみようかと思います。

というところで、きょうのところは以上。